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使徒の働きのデボーション

神に出会える場所となる(3)

使徒の働き6章を読むたびに、ステパノについての記述が私の心に響きます。

「御霊に満ちた。」

「知恵に満ちた。」

「信仰に満ちた。」

「恵みに満ちた。」

「力に満ちた。」

今日、この言葉を読んで、私はこう考えました。

「もし私が、周囲の人々にとって神に出会える場所となりたいのなら、そのような人にならなければならない。」

しかし、ステパノはどのようにして、このような人物となったのでしょうか。

おそらく、その理由の一つは、彼が他のクリスチャンたちと同じように、御言葉と祈りに専念したからです。(使徒の働き2:42)

この二つの事柄は、12人の使徒たちのミニストリーの中心でした。(使徒の働き6:4)

ステパノは聖書に精通するにつれて、その知恵を深めていきました。

祈りによって、御霊と強く結ばれ、恵み、力、そして信仰に満ちるようになったのです。

だから、私は御言葉と祈りのために、もう少し時間を取る必要があると思います。もしかしたら、もっと多くの時間を取るべきなのかもしれません。

もちろん、私は仕事の責任、家族の義務、そして他にも果たすべき事柄があります。

しかし、もしかすると、神様が今、私に静かに語りかけておられるのではないかと思います。

「もう少し時間をちょうだい。もう少し時間を与えてくれないか。コンピューターの時間、YouTubeの時間、ポッドキャストの時間をもう少し減らして、私と過ごす時間を増やしてほしい。」

もしかしたら、神様はあなたにも同じようなことを語っておられるかもしれません。

あなたはどう思いますか。

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使徒の働きのデボーション

神様にとって本当に重要なこと

うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。

あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。(使徒の働き7:51)

ユダヤ人の指導者たちはステパノに対して重大な告発をしました。つまり、ステパノが神殿や神の律法に逆らう言葉を語ったということです(6:13~14)。

しかし、ステパノによれば、その指導者たち自身が神様に逆らっていました。

過去にユダヤ人の先祖たちが、神様の任命された救い主であるヨセフ(創世記37:8、26~28;45:5~7)とモーセ(使徒の働き7:27、39)を拒絶したように、ユダヤ人の指導者たちはイエス様を拒絶してしまいました。

そして、その指導者たちが律法に従っていると主張したにもかかわらず、彼らは先祖たちと同様に、律法に何度も違反し、ついにはイエス様を十字架につけてしまいました。

さらに、彼らは神殿を大切にしましたが、その理由は誤っていました。

神殿自体は重要なものではありませんでした。なぜなら、人が造った建築物は主を収めることができないからです。むしろ、神殿は神様が人々の間に住まわれることを象徴するものにすぎませんでした(使徒の働き7:47~50)。

ヨハネによれば、イエス様こそが真の神殿です(ヨハネ2:19~21)。

イエス様にあって、神様は人となり、私たちの間に住まわれました。

原語では、ヨハネは文字通り「イエス様にあって、神様は私たちの間に幕屋を建てられた」と述べています(ヨハネ1:14)。

しかし、ユダヤ人の指導者たちはイエス様を大切にせず、むしろ十字架につけてしまいました。

では、神様にとって本当に重要なことは何でしょうか。それは、私たちが御子を敬い、御子に従うことです。天の父ご自身がこう言われました。

これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。(マルコ9:7)

主よ、あなたこそが律法の指し示す方です。あなたこそが幕屋や神殿の象徴する方です。私が御霊に逆らったとき、どうか赦してください。また、あなたに耳と心を閉ざしたときも、赦してください。

十字架で、あなたは私のためにご自身の命を捧げられました。私の心の中で、もう二度とあなたを十字架につけたくはありません。(へブル6:6)

あなたは私の愛、敬い、従順にふさわしい方です。毎日、それらをあなたに捧げることができるよう、どうか助けてください。

私はあなたを愛しています。あなたがまず私を愛してくださり、ご自身の命を私のために捧げてくださったことは、本当に不思議なことです。心から感謝します。あなたのみ名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働き

神様を拒絶するパターン

この箇所では、私たちは教会の最初の殉教者を見ることができます。それはステパノでした。

6章では、使徒たちがやもめの世話をするために7人の執事を任命しました。ステパノはその執事の一人でした。

しかし、彼がイエス様の言葉を述べ伝えたとき、宗教的指導者たちは彼と対立しました。ステパノは逮捕され、最高法院の前に立たなくてはなりませんでした。そこで、多くの証人が彼に偽りの告発をしました。

ステパノが自ら弁解するとき、彼はイスラエルの歴史を詳しく語りました。その中心的なポイントは、ユダヤ人たちが何度も、彼らを救うために神様が遣わした人々を拒絶してきたことです。

ヨセフの兄弟たちはヨセフを奴隷として売りましたが、何年か後、飢饉の際にヨセフは彼らを救いました。

イスラエルの民もまたモーセを拒絶しました。彼が王子であったとき、彼らはモーセを受け入れず、エジプトを脱出した後も彼に反抗しました。

彼らが神様の約束の地に入った後も、そのパターンは続きました。彼らは預言者たちの言葉を拒絶し、偶像を礼拝しました。

そして、彼らはイエス様を拒絶し、殺しました。

それでも、彼らはなお「私たちは神様の民だ」と言い張りました。なぜなら、彼らは神殿で神を礼拝していたからです。

ところが、ステパノは彼らにこう言いました。

しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。

「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。 ーー主の言葉ーー 私の安息の場は、いったいどこにあるのか。わたしの手が造ったものではないか。」(使徒の働き7:48-50)

要するに、「もしあなたが、あなたを救うために神様が遣わした方を拒絶するなら、あなたが神殿で礼拝しても、それは無意味です。」ということです。

最高法院の人々の反応はどうだったでしょうか。彼らは先祖のパターンに従いました。彼らはステパノを殺しました。

あなたはどうでしょうか。あなたの人生のパターンは何でしょうか。あなたは宗教的な人かもしれません。毎週教会に行き、良い行いをしているかもしれません。

それでも、もしあなたがイエス様を主と神として拒絶し、福音を伝える人々を拒絶するなら、あなたの良い行いは神様の目には無意

味です。むしろ、かつて神様とそのメッセンジャーを拒絶した者たちと同じように、あなたは裁かれることになります。

救いへの道はただ一つ、それはイエス様です。今日、あなたはイエス様を受け入れませんか。

天のお父様、私は罪を犯しました。私は自分の道を歩み、あなたが遣わされたイエス様を拒絶してきました。どうか赦してください。

イエス様、あなたが私の罪のために死んでくださったことを感謝します。私はあなたを主と救い主として受け入れます。

あなたの御霊で私を満たしてください。毎日どのように生きるべきかを教えてください。あなたの名前によって祈ります。アーメン。