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マタイの福音書のデボーション

悔い改め以上

私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。。。

その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。(マタイの福音書3:11)

今朝、私はその言葉を思い巡らしました。

もちろん、神様は私たちの悔い改めを願っておられます。

しかし、神様はそれだけではなく、私たちの内側でさらに深いことをなさろうと願っておられます。

つまり、精錬する者の火で私たちを清め、御霊の力と臨在で私たちを満たそうとしておられるのです。(マラキ書3:2~3;使徒の働き1:8)

この世は本当に壊れています。

私の内にも、まだ壊れた部分があります。

けれども、私がひびのある器であっても、神様は私を通してこの壊れた世に触れたいと願っておられることを信じます。

だから今日、神様がそのように働いてくださるように祈っています。

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使徒の働きのデボーション

何をためらっているの?

さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。(使徒の働き22:16)

今まで気づいていませんでしたが、サウロはバプテスマを受けることをためらっていたようです。

なぜでしょうか。

もしかすると、過去のことを思い出し、罪悪感を抱いていたのかもしれません。

「神様は私のような者を愛することができるのだろうか?」と考えていたかもしれません。

「神様は御国のために私のような者を本当に用いることができるのだろうか?」と悩んでいたのかもしれません。

もしかすると、あなたもサウロのようにバプテスマを受けることをためらっているかもしれません。自分の罪や弱さ、また疑いを感じているのではないでしょうか。

もしかしたら「私はまだ聖書について十分に理解していない」と思っているかもしれません。

「クリスチャンとしてちゃんと歩めるだろうか?」と不安に感じているかもしれません。

しかし、ためらわないでください。バプテスマを受ける前に、完全な人など誰もいません。完全な信仰を持つ人もいません。神様とそのみ言葉を十分に理解している人もいません。

私はクリスチャンとして40年以上歩んできましたが、それでもなお、これらを達成したとは言えません。

神様が望まれるのは、あなたがご自身と共に歩み始めることです。そして、神様との旅は<ひとつの決断から始まります。 「イエス様、私はあなたを主、救い主として信じ、従いたいです。」

もし、あなたがこの言葉を心から言うことができるなら、アナニアの言葉はあなたにも適用されるのです。

さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。(使徒の働き22:16)

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ルカの福音書のデボーション

開かれた耳、柔らかい心

私の意見ですが、もしかすると、イエス様がバプテスマを受けたとき、詩篇40:6ー8の言葉を祈られたのかもしれません。

あなたは私の耳を開いてくださいました。。。そのとき、私は申し上げました。「今、私はここに来ております。巻物の書に私のことが書いてあります。わが神よ、私は、あなたのみこころを行うことを喜びとします。

ヘブル書の著者によれば、イエス様はその言葉を祈られましたが、実際にご自身のバプテスマの際にその言葉を祈られたかどうかは分かりません。(ヘブル書10:5ー7)

いずれにせよ、イエス様が神様に対して常に開かれた耳と柔らかい心を持っておられたことは確かです。

その一方で、ヘロデにはそのようなものがありませんでした。特に、自分の罪のためにバプテスマのヨハネから責められたときには、それが顕著でした。(ルカの福音書3:19ー20)

一方、バプテスマを受けた人たちは開かれた耳と柔らかい心を持っていました。それは彼らの反応から分かります。

「私たちはどうすればよいのでしょうか。」(ルカ3:10、12、14)

これはまさに開かれた耳と柔らかい心の問いかけです。

イエス様はそのような心を常に持っておられました。

私もそのような心を持ちたいと思います。

あなたは、そのような心を持っていますか。

神の御言葉を読んだり聞いたりするとき、私たちもあの人たちと同じように反応しましょう。

「私たちはどうすればよいのでしょうか。私は、あなたのみこころを行うことを喜びとします。」

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マタイの福音書のデボーション

神の子どもの祈り

イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。

そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」(マタイの福音書3:16ー17)

天のお父さん、どうして、恵みによって、あなたは私のために天を開き、御霊を私に遣わし、「これはわたしの愛する子どもです。わたしはこれを喜ぶ。」と仰ることができるのでしょうか。

どうしてでしょうか。それは私には把握しきれない真理です。でも、私は心から感謝します。

ですから、私が悔い改めの実を結ぶことができるように助けてください。あなたは、私がどんな罪と戦っているのかをすべてご存じです。

パリサイ人たちやサドカイ人たちのように、ただ義人のふりをしたくはありません。私が真の義の実を結ぶことができるように助けてください。

イエス様、あなたは御言葉によって、私がすでにきよい者であることを宣言してくださいました。ですから今、あなたの御言葉が私のうちにとどまるようにしてください。

その御言葉が私を刈り込み、形成し、変えてください。あなたの御言葉によって、私の言動が変えられるようにしてください。

あなたの御言葉によって、私の罪を明らかにしてください。

そして同時に、あなたの御言葉が、あなたの愛と赦しを私に思い起こさせてください。

あなたの御言葉によって、私があなたと共にもう一歩進み、あなたのようになるように励まされますように。

あなたはブドウの木、私はその枝です。私がどのようにしてあなたにとどまることができるかを教えてください。

あなたを離れては、私は何もすることができません。でも、あなたにとどまるなら、私は多くの実を結びます。私は心から、あなたのために多くの実を結びたいのです。(ヨハネ15:3〜7)

聖霊様、あなたがイエス様を導き、満たされたように、どうか日々、一瞬一瞬、私を導き、満たしてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。