私の信仰はどこにあるのだろうか。
時々、私は自分自身にそう問いかけます。「どうして私は神様をもっと信頼できないのだろうか。」
けれども、時には少し違う質問をします。「私は何を信頼しているのだろうか。」
この箇所では、その二つの問いが浮かび上がります。
イエス様、ヨハネ、ヤコブ、そしてペテロが山から戻ったとき、他の弟子たちは律法学者と論じ合っていました。彼らが何について議論していたのかは定かではありませんが、おそらく律法学者はこう言ったのかもしれません。
「あなたの先生は神様から来たのではありません。ほら、あなたたちはこの男の子から悪霊を追い出せなかったではありませんか。」
いずれにせよ、イエス様が彼らに「何について話していたのか」と尋ねられると、その男の子の父親はこう言いました。
先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、先生のところに連れて来ました。その霊が息子にとりつくと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。
それでお弟子たちに、霊を追い出すよう願ったのですが、できませんでした。(マルコ9:17-18)
そして、そのお父さんは必死に願いました。
もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。(マルコ9:22)
イエス様はこう答えました。
できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。(マルコ9:23)
私はその父親に共感できます。彼はこう言いました。
信じます。不信仰な私をお助けください。(9:24)
どのように、その父親はその言葉を口にしたのでしょうか。もしかすると、彼の希望はほとんど失われていて、信じることが難しかったのかもしれません。しかし、彼はイエス様が救えないなら、誰も救えないということを理解していました。
そこで、イエス様の目を見つめながら、その父親は涙を流し、自らの不信仰を認めました。
「イエス様、私は信じたいのですが、この問題は長い間続いてきました。あなたを信じることは、とても難しいのです。けれども、あなたが助けてくださらないなら、私は希望を失います。どうか、私が不信仰を克服できるよう助けてください。」
イエス様は、その父親の願いを聞かれると、悪霊を追い出されました。
私はこの話から希望を受け取ります。私もよく不信仰と戦います。私の信仰の小さな滴は、不信仰の大波に圧倒されることがあります。
その父親も同じように感じたことでしょう。しかし、彼が不信仰であったにもかかわらず、イエス様は憐れみと恵みを示し、その息子を癒してくださいました。
時々、私も神様の良さを疑うことがあります。けれども、私が叫ぶとき、イエス様は答えてくださいます。神様は私に憐れみと恵みを与えてくださり、私はもう一度神様の恵みと憐れみを思い出します。
いずれにせよ、この話の中で、弟子たちはイエス様に尋ねました。
なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。(マタイ17:19)
そして、イエス様は彼らに信仰について教えられます。
あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。
もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、「ここからあそこに移れ」と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイ17:20)
でも、イエス様はもう一つのことを言われました。
この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。(9:29)
覚えていてください。その出来事の前に、弟子たちはイスラエルの中で多くの人々から悪霊を追い出しました。けれども、時が経つにつれ、彼らはその力の源を忘れてしまったかもしれません。
そのため、彼らは神様を信頼せず、自分の力と方法に頼り始めたのかもしれません。そして、祈ることを忘れてしまい、悪霊を追い出すことができませんでした。
私はこの話を読むたびに、自分自身に問いかけます。「私は何を信じているのだろうか。自分の能力や賜物に頼っているのか。自分の知恵に頼っているのか。それとも、神様に頼っているのか。」
神様を信頼するなら、たとえからし種ほどの信仰しかなくても、何でも可能になります。しかし、自分自身に頼るなら、私は何もできません。
毎日、このことについて考えなければなりません。私はよく失敗します。もしあなたも不信仰との戦いをしているなら、一緒に祈りませんか。
イエス様、私の信仰はどこにあるのでしょうか。私の状況を見るとき、私はしばしばパニックになり、あなたが私を助けてくださるかどうかを疑ってしまいます。
私の不信仰をお赦しください。すべてのことにおいて、あなたを信じることができるよう助けてください。私の心と状況の中で働いて、私に平和と喜びを与えてください。
私は何を信頼しているのでしょうか。私はしばしば自分自身に頼り、それによって失敗します。どうかお赦しください。あなたの声を聞き取れるように助けてください。そして、私が毎日あなたを信頼できるよう導いてください。アーメン。