ヨブが詩篇88篇を書いたわけではありませんが、この詩篇を読むとき、私はヨブの話を思い浮かべます。なぜなら、この詩人は自分の苦しみの中にある神様の沈黙について話すからです。
けれども、実生活と同じように、この詩篇にはハッピーエンドがありません。
詩人は叫びます。「神様。私の声を聞いてください。あなたはここにおられるでしょうか。私はトラブルで圧倒されています。私は病気で、死にかけています。もう私の力はなくなってしまいました。」(詩篇88:1-5)
そして、詩人は、どうして神様がそのトラブルを送ったのか尋ねて、文句を言います。詩人は何度もこう言います。
「あなたは私を最も深い穴に置いておられます。」(6)
「あなたの激しい憤りが私の上にとどまります。」(7)
「あなたは私の親友を私から遠ざけ、私を彼らの忌み嫌う者とされました。」(8)
そして、彼は叫びます。「私はあなたを呼んでいる。どうして、あなたは隠れておられるでしょうか。どうしてあなたは私を拒絶しておられるのでしょうか?私の生涯、ずっと苦しんでいます。私は独りぼっちです。」(13-18)
それは、この詩篇の終わりです。
希望の言葉も、慰めの言葉もありません。
時々私たちもそう感じることがあるでしょう。もし、あなたがそう感じたら、覚えておきましょう。たくさんの人々もそう感じたことがあります。あなただけではありません。
もちろん、この詩人はそう感じました。多分、すべてのクリスチャンはそう感じたことがあると思います。
ある人は諦めて、その穴を決して出ませんでした。そのような人にならないでください。
覚えておきましょう。あなたの信仰はあなたの感情に基づいてはいけません。むしろ、神様の性格とみ言葉に基づいていなければなりません。
あなたの感情は時々揺るぐかもしれません。それは不安定なものです。だから、感情は信頼できる土台ではありません。
サタンはそのことをよく知っています。だから神様が沈黙されるとき、サタンはあなたを絶望させようとします。あなたの信仰を奪おうとします。
私たちの感情はいつも変わります。しかし、神様とその言葉は決して変わりません。あなたは神様の約束を信頼できます。
だから、落ち込んでいる時や失望している時、自分の感情に頼らずに、神様とその約束に頼りましょう。
そうすれば、どんなに暗いトンネルを通っても、あなたは最終的には抜け出すことができるのです。