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詩篇のデボーション

神の恩寵

まことに、御怒りは束の間、
いのちは恩寵のうちにある。(詩篇30:5)

今朝、その言葉が私の心に深く響きました。

神様が恩寵を与えてくださるとき、私たちはいのちを得ます。

そして2000年前、ベツレヘムで、神様は恵みの手を伸ばしてくださいました。

ヨハネはこのように記しています。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのち得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(第一ヨハネ4:9ー10)

神様の愛と恵みによって、私たちは神の御心にかなう者とされます。

それは本当に驚くべきことです。

だから、み使いたちと共に歌いましょう。

いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。(ルカ2:14)

メリークリスマス!

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コロサイ人への手紙のデボーション

あなたが第一の者となるように

御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。

なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。

万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。

また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。(コロサイ人への手紙1:15-18)

イエス様、私はあなたにあって造られました。私はあなたによって造られました。私はあなたのために造られました。だから、私の人生において、第一の者となってください。あなたは私の人生において第一の者となるにふさわしい方なのです。

どうか私があらゆる霊的な知恵と理解力によって、あなたの御心についての知識に満たされますように。

その知識に満たされることで、私はあなたにふさわしく歩み、あらゆる点であなたに喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、あなたを知ることにおいて成長することができます。

私がどんなことにも喜びと感謝を持ち、忍耐し、寛容でいられるため、あらゆる力で私を強くしてください。

私へのあなたの恵みは素晴らしいです。あなたは私に聖徒の相続分を与えてくださいました。あなたは私を暗闇の力から救い出して、あなたのご支配の中に移してくださいました。

あなたの十字架上の死によって、私を天の父の御前に聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として立たせてくださいます。

あなたの恵みによって、私が信仰に土台を据え、堅く立ち、あなたの福音の望みから外れることなく、信仰にとどまるように助けてください。

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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ピリピ人への手紙のデボーション

自分の救いを達成するよう努める

こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。(ピリピ人への手紙2:12)

今日、「自分の救いを達成するよう努める」という言葉を考えていました。それはどういう意味でしょうか。

ピリピ人への手紙3章では、パウロがその意味を説明していると思います。

彼は、義と認められるために律法を守ろうとすることを意味していませんでした。彼の義は、イエス様の十字架の働きを信じる信仰に基づいていました。(ピリピ3:9)

では、「自分の救いを達成するよう努める」とは、どういう意味でしょうか。

1.イエス様との関係を追求することです。イエス様を知ることは、パウロの究極の情熱となりました。

2.ますますイエス様のようになることです。パウロはイエス様の復活の力を経験し、その力によってイエス様のように変えられることを望みました。

でも、イエス様と共によみがえられる前に、パウロはイエス様と共に死ななければなりませんでした。

イエス様がただ一度罪に対して死なれたように、パウロは罪に対して死んだ者となり、また神に対して生きている者となるように学ぶべきでした(ローマ6:10ー11)。

そして、キリストの苦しみに参加することで、パウロは罪との関わりを断ち、神のみこころに生き始めていることを証明しました(第一ペテロ4:1ー2)。

それは、自分の救いを達成するよう努めるということです。

でも、それは一生続くプロセスです。パウロ自身も、まだそのプロセスを終えていないことを認めました。

彼はまだ失敗しました。彼はまだたどり着いていませんでした。

でも、恵みによって、イエス様はパウロを捕えてくださいました。だから、パウロは受けた救いを完全に捕らえるように努め、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めました。

パウロを捕えてくださったイエス様が、私をも捕えてくださったことに驚いています。だから、パウロのように、私も受けた救いを完全に捕えるように努め、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めています。

私はまだ失敗します。私はまだたどり着いていません。でも、神様が私に恵みと愛を与えてくださったという確信を持ち、パウロと共に言います。

うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。(ピリピ3:13ー14)

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エペソ人への手紙のデボーション

あなたのようになるように

しかしあなたがたは、キリストをそのように学んだのではありません。ただし、本当にあなたがたがキリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすれば、です。真理はイエスにあるのですから。

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。(エペソ人への手紙4:20~24)

天のお父さん、私たちは初めにあなたの似姿に造られました。(創世記1:26-27)

しかし、その似姿は私たちの罪によって歪められ、腐敗しています。

私の人生においても、あなたの似姿は私の罪によって歪められ、腐敗しています。

それでも、あなたは私を愛してくださり、あなたの恵みによって私を救ってくださいました。あなたの望みは、私があなたの御子のようになることです。(エペソ4:13)

ですから、私があなたにかたどって造られた新しい人を着ることができるように助けてください。私があなたの義、真理、愛、恵、親切さ、優しい心によって特徴づけられる者となるようにしてください。

周りの人々が私を見るとき、彼らがあなたを見てくださるように。私はあなたのようになりたいのです。

イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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エペソ人への手紙のデボーション

近い者となった

そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。

しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。。。

このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なので。(エペソ人への手紙2:12~13)

多分、上記は、私が最も気に入っているエペソ人への手紙の箇所です。その箇所は、クリスマスの意味、つまり、イエス様がこの世に来られた理由を要約しているからです。

私たちは、かつて神様の家族の部外者であり、アブラハムとその子孫への祝福の約束の契約から除外されていました。しかし今、イエス様にあって、かつて神様から遠く離れていた私たちは、近い者となりました。

イエス様の系図を見ると、それがよく分かります。

タマルはカナン人でした。カナン人の罪のため、神様はイスラエル人たちに、カナン人たちを滅ぼすように命じられました。(マタイ1:3;創世記10:15-18,15:16;レビ記18:24-28;申命記7:1-4)

ラハブもカナン人で、遊女でした。(マタイ1:5)

ルツはモアブ人でした。神様はイスラエル人たちに、モアブ人が主の集会に加わってはならないと言われていました。(マタイ1:5;申命記23:3-4)

彼女らは皆、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神様もおられない者たちでした。けれども、彼女らは近い者となり、聖徒たちと同じ国の民となり、神様の家族に加えられました。

私たちも同じです。

クリスマスはもう終わったかもしれませんが、パウロの言葉に思いを巡らしましょう。その言葉を反芻しましょう。

そして、喜びましょう。

私もそうしています。

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エペソ人への手紙のデボーション

ふんだんに恵まれている

私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。

神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙1:3-6)

私は6節の英訳が大好きです。「神様は私たちに恵みの栄光をふんだんに与えてくださいました。」

「ふんだんに与える」と訳された言葉は、新約聖書では2回しか使われていません。2回目は、上のエペソの箇所です。一回目は、マリアへのガブリエルの言葉です。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1:28)

ガブリエルの言葉を言い換えると、「マリア、神様はあなたにふんだんに恵みを与えてくださいました。」

あなたは、御使いがマリアにそのような言葉をかけたのは、マリアが本当に特別な人だったからだと思うかもしれません。

でも、神様は同じようなことを、私たちにも言ってくださいます。

「わたしの子を通して、あなたに恵みをふんだんに与えました。世界の基が据えられる前から、あなたをわたしの子供とするように定めていました。」

マリアへの神様の言葉は、あなたにも当てはまります。あなたは、ふんだんに恵まれた人です。そして、イエス様において、神様はインマヌエルです。「神様は私たちと共におられます。」

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ピリピ人への手紙のデボーション

私たちの希望

私の好きな聖書箇所のひとつは、ピリピ人への手紙1章6節です。

あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。

ピリピ人への手紙2章12〜13節では、パウロはその真理をさらに詳しく説明しています。

。。。恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。

クリスチャンとしての私の希望は、自分の罪と弱さにもかかわらず、神様が私を決して諦めないということです。神様が始められた良い働きを完成させてくださいます。

今なお、神様は私の心の中で働いて、イエス様のようになろうとする思いと力を与えてくださっています。

時々、その過程が進むのがとても遅く感じられることもあります。今でも、自分の欠点ははっきりと見えています。私は完全な人間とは言えません。でも、振り返ってみると、神様が私を少しずつ変えてくださってきたことがわかります。

だからこそ、私への神様の日々の素晴らしい恵みに、畏敬の念を抱かずにはいられません。そういうわけで、私は神様に従い続けているのです。

私の動機は、罪悪感や神様の怒りではありません。神様が私を拒絶するのではないかと心配することもありません。むしろ、神様の素晴らしい恵みのゆえに、私は神様に従っているのです。

それは、あなたの希望でもあるでしょうか。

あなたが神様に従おうとするとき、その動機は何ですか。

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マタイの福音書のデボーション

神様がなさらなかった応答

「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」

しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」(マタイの福音書27:4)

私が驚いたのは、祭司たちがユダに対して反応したように、神様が私たちに対してはそのように反応されなかったことです。

私たちが咎と恥を負い、神様の御前に出て、「私は罪を犯しました」と告白したとき、神様は「私には関係ない。自分で始末しなさい」とは言われませんでした。

もし神様がそうされていたなら、私たちはユダのように絶望と死に陥っていたことでしょう。

しかし、神様はそうされず、むしろ、御子を送ってくださいました。

彼は私たちの背きのために刺され、 私たちの咎のために砕かれたのだ。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、 それぞれ自分勝手な道に向かって行った。 しかし、主は私たちすべての者の咎を 彼に負わせた。(イザヤ53:5ー6)

I’ll never know why you did what you did.
私には、なぜあなたがあんなことをされたのか理解できません。

You didn’t have to die, but you did.
あなたは死なないことを選ぶことができたのに、私のために死んでくださいました。

You hung on the cross so that I wouldn’t be lost.
私が滅びないように、あなたは十字架にかけられました。

You took my place, now you’re pleading my case.
私の代わりに死んでくださっただけでなく、今も私のためにとりなしてくださっています。

You didn’t have to do it, but I’m glad you did.
あなたはそうする必要はなかったのに、私のためにそうしてくださって、私は心から感謝しています。

You didn’t have to do it, but I’m glad you did.
あなたはそうする必要はなかったのに、私のためにそうしてくださって、私は心から感謝しています。

-クリスタル・ルイス

 

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ヨハネの福音書のデボーション

きよい

わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます(別訳:「きよくなさいます」。

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。(ヨハネの福音書15:2ー3)

今朝、上の箇所を反芻していたとき、イエス様が13章で似たようなことばを語られたことを思い出しました。

水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのです。。。(ヨハネ13:10)

イエス様のことばは私を励ましてくださいました。イエス様は私の心に語られました。

「あなたが私のことばを信じたから、私を信じたから、私の目にはあなたはすでにきよいのです。あなたはすでに天の父に受け入れられているのです。」

この世を歩む中で、私の霊的な足は罪によって汚れてしまいます。

最近、神様は、ある人に対する私の悪い態度を示してくださいました。その態度のゆえに、神様が望まれるほどには、私は実を結んでいません。

それでも、神様は私を決して諦められません。

むしろ、豊かな忍耐と愛と恵みをもって、神様は私をきよめてくださいます。また、私がさらに多くの実を結ぶように、神様は私を刈り込みしてくださいます。

神様はあなたのためにも、同じことをしてくださいます。

神様の鏡、すなわち御言葉を覗くと、あなたも自分の罪や、実を妨げるものを見るかもしれません。でも、あなたへの神様のことばを心に留めておきましょう。

「私の目にはあなたはすでにきよいのです。」

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ルカの福音書 ルカ17章

私たちの奉仕の姿勢

私たちは皆、褒められるのが好きです。誰かが「よくできたね」と言ってくれると、私たちはとても嬉しくなります。

しかし、それが私たちが奉仕する理由でしょうか。私たちは人からの称賛を求めているのでしょうか。それとも、神様の称賛を求めているのでしょうか。

もし人から称賛を得られなかったとき、私たちは正当に評価されていないと感じるでしょうか。怒りを覚えるでしょうか。

イエス様は、このことについて、とても興味深い描写を与えてくださいます。

ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。

かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。

しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。

あなたがたもそのとおりです。

自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。(ルカの福音書17:37-10)

イエス様の意味されたことは何でしょうか。神様は私たちの努力を正当に評価されないのでしょうか。神様は私たちに報いを与えてくださらないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。

聖書のほかの箇所によれば、神様は私たちの働きと努力を評価し、やがて報いを与えてくださいます。

とはいえ、私たちが覚えておくべき重要なことが二つあります。

一つ目は、私たちがこの世に生きている限り、果たすべき使命があるということです。自分の成功を祝って怠ける余裕はありません。さらに、人からの称賛を求める余裕もありません。むしろ、神様から委ねられた働きを忠実に続けなければなりません。

二つ目は、私たちがどんな役割を持っていようとも、神の国でどんな立場にあろうとも、私たちはただ神様の恵みによって仕えるのだということです。

私たちは神様から報いを受けるに値しません。もちろん、救いにも値しません。

実際には、私たちの欠点や弱さ、失敗にかかわらず、神様が私たちを用いてくださることこそが恵みなのです。

さらに、私たちが仕えることができるように、神様はいろいろな才能や賜物を与えてくださいます。神様は私たちに力と知恵を授けてくださいます。

それなら、それらの賜物をすべて受け取ったとき、私たちは誇ることができるでしょうか。

パウロはこう書きました。

いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。

あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(第一コリント4:7)

だから、私たちが生きている限り、神様から委ねられた働きを続けましょう。謙遜に、忠実に。

そして、仕えるときには、なぜ私たちが仕えることができるのかを覚えておきましょう。つまり、神様の恵みを心に留めておきましょう。