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ヨハネの福音書のデボーション

生ける水の川

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」

イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。(ヨハネ7:37-39)

なぜかこの箇所を読むたびに私が最初に考えることは、私がイエス様のみもとに行くと、御霊が私の霊的な渇きを満たしてくださるということです。

でも今日、神様が私に思い出させたのは、単に私の渇きを満たすためだけに御霊を与えてくださるのではないということです。

むしろ神様は、私の周囲の霊的な渇きで死にそうになっている人たちが命を知ることができるように、神の生ける水の川が私の心の奥底から流れ出ることを望んでおられるのです。

だから、私はこのように祈りました。

聖霊様、私はあなたを受け、あなたは私の渇きを満たしてくださいました。でも、周囲の渇いている人たちも飲んで命を知ることができるように、あなたが川のように私から流れ出るように祈ります。

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ヨハネの福音書 ヨハネ7章

救いの水

仮庵の祭りの最後の日に、多分、イエス様は祭司たちがシロアムの池からの水を祭壇に注いだ事を見たでしょう。周りの人々もそれを見て、こう歌いました。

あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。(イザヤ12:3)

でも多分、そのすぐ後、彼らはほかの声を聞いたでしょう。イエス様はこう叫びました。

だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7:37-38)

それはさすがイエス様でした。ユダヤ人たちはずっとその祭りをお祝いして、祭司たちはずっと水を祭壇に注いだけど、イエス様は彼らにその儀式の本当の意味を説明しました。

その前、人々がその儀式を見た時、彼らはエジプトからの救いを思い出しました。また、彼らは、その先祖が砂漠を渡ったとき、神様が岩から水を二回備えてくださったことを思い出しました。

だから、その儀式を通して、彼らは救いの喜びを思い出しました。その救いは、自分の努力によるものではなく、神様の備えによるものでした。

でも、彼らは一つのことを見逃していました。その岩を通して、神様は彼らにイエス様のことを描写しました。

パウロはこう書いた。

(イスラエル人の)みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。(第一コリント10-3-4)

だから、イエス様はユダヤ人たちにこう語られました。

「あなたたちは砂漠を歩いていたイスラエル人のように渇いているでしょうか。霊的な砂漠の中にいるのでしょうか。神様を慕いながらも、どうしても神様を見つけることができないのでしょうか。

それなら、私のもとに来なさい。私を信じなさい。(ヨハネ6:35を覚えているでしょう)。そうすれば、あなたの心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになるのです。」

では、イエス様が意味されたものは何だったのでしょうか。ヨハネがその意味を説明してくれます。

これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。(39)

つまり、私たちがイエス様のもとに来て信じるなら、御霊である神は私たちとともに住み、私たちのうちにおられるのです。(ヨハネ14:17)

そのため、私たちの霊的な渇きは満たされます。また、私たちの人生から御霊が流れ出し、周りの人々に触れるのです。だからこそ、毎日私たちが救いの泉から水を汲むことで、私たち自身が祝福されると同時に、周りの人々も祝福されます。

クリスチャンたちは、そのように生きるべきです。毎日、私たちは御霊から力を受けて、次第にキリストと同じかたちに姿を変えられていきます。(第二コリント3:18)

また、私たちは周りの人々に神様の救いを延べ伝えます。そして、その中で喜びを知るのです。

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ヨハネの福音書 ヨハネ4章

率直に言う?もしくは、愛をもって真理を語る?

英語では「brutal honesty」という表現があります。直訳すると「残酷な正直さ」という意味です。

その意味は、相手がその真理を聞けばきっと傷つくかもしれないけれど、それでも率直に真理を伝えることです。なぜなら、真理は真理だからです。

もちろん、真理は真理です。そして、私たち全員が真理に直面しなければなりません。とはいえ、「残酷な正直さ」の問題はこうです。多くの場合、その真理を伝える人は、相手を助けたいという気持ちではなく、むしろ故意に傷つけたいという思いを持っているのです。

さらに、それを喜びをもって行う人もいます。彼らは相手に対する愛から真理を伝えるのではなく、相手を苦しませたいという意図を持っていることがあります。

イエス様が率直に話されたことがあるのは確かです。そして、バプテスマのヨハネも率直に話した時がありました。彼らのパリサイ人やサドカイ人との交流を見れば、彼らが非常に単刀直入であったことがわかります。

では、なぜ彼らはパリサイ人やサドカイ人に対してそこまで率直だったのでしょうか。それは、おそらく彼らがあまりに頑なで、他の言葉では届かなかったからかもしれません。

時にはイエス様が語られた真理は厳しいものでした。それでも、多くの場合、イエス様は情けとあわれみをもって真理を伝えられました。

残念ながら、教会にはそのような態度を持つ人はあまり多くありません。けれども、この箇所では、イエス様のあわれみがはっきりと示されています。

興味深いことに、使徒ヨハネによれば、イエス様はサマリヤを通って行かなければならなかったと記されています(ヨハネ4:4)。

実は、サマリヤを通るほうが早い道でしたが、多くのユダヤ人はサマリヤを通ることを拒みました。なぜなら、サマリヤ人は本当のユダヤ人とみなされていなかったからです。

つまり、何百年も前に、サマリヤにいたユダヤ人たちは偶像を礼拝する外国人と結婚し、本来のユダヤ教を汚したと考えられていました。

けれども、文化的なルールが天の父の御心に反するならば、イエス様はそのルールを無視されました。ですから、弟子たちはしばしば困惑したことでしょう。

さて、サマリヤにおられたとき、イエス様は弟子たちを食物を買うために町へ送られました。イエス様ご自身は疲れて、井戸のそばに座っておられました。その時、ひとりの女性が井戸に近づいて来られるのをイエス様はご覧になりました。

イエス様はすでにサマリヤに入ることで文化的なルールを破られていましたが、この女性が井戸にやって来たとき、イエス様はさらに大きな文化的なルールを破られました。

ラビ(ユダヤ教の先生)は、通常、人前で女性と話すことは決してありませんでした。さらに、この女性は嫌われたサマリヤ人でもありました。

それでも、イエス様は彼女に話しかけられました。

わたしに水を飲ませてください。(ヨハネの福音書4:7)

それは本当にシンプルな願いでしたが、彼女はとても驚きました。

彼女は何を思っていたのでしょうか。おそらく、彼女は自分の民の間で評判の悪い人だとみなされていたのではないでしょうか。

新改訳によれば、彼女は第六時ごろに井戸に来たと記されています。この文化では、第六時とは正午を意味します。普通、最も暑い時間帯に女性たちは井戸に来ることはありません。

ところが、彼女は他の女性たちを避けたいと思い、その時間に井戸に来たのかもしれません。

さらに、彼女は何度も離婚しており、現在一緒に住んでいた男性は彼女の夫ではありませんでした。

ですから、イエス様が彼女に話しかけたとき、彼女は「この人は私を売春婦だと思うだろうか」と感じたかもしれません。

いずれにせよ、彼女はイエス様に興味を持っていなかったため、こう答えました。

あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。(9)

けれども、イエス様は優しく応じられました。

もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。(10)

「生ける水」というのは何でしょうか。ヨハネ7:37-39によれば、イエス様は聖霊様について話しておられました。

しかし、この女性は物理的な水のことだと思っていたので、彼女は次のように答えました。

先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。(11)

イエス様はこのように答えられました。

この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。

わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(13-14)

つまり、「物理的な水について話しているのではありません。その水は一時的にあなたを満たしますが、私が与える水は永遠の命を与えるものです。そして、あなたがそれを飲むと、決して霊的に渇くことがありません。」

おそらく、彼女はイエス様の言葉の意味を理解できなかったのかもしれません。または、自分の心が痛んでおり、自分の必要性を認めたくなかったのかもしれません。

いずれにせよ、彼女は少しイエス様の言葉をからかうような態度を見せました。

先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。(15)

そして、イエス様は突然、とても痛烈な言葉を話されました。

行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。(16)

たぶん、彼女は傷ついた心の痛みから返答したのでしょう。

私には夫はありません。(17a)

イエス様はこう答えられました。

私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。(17b-18)

その言葉は本当に痛烈なものでした。

その瞬間、彼女の痛みは明らかになりました。彼女はずっと自分を本当に愛してくれる人を探していました。その愛を得るために、何度も自分の体を男性たちに捧げました。もしかしたら、他の女性たちの夫を奪ったこともあったかもしれません。

けれども最終的には、拒絶され、現在一緒に住んでいる男性は彼女と結婚することを拒んでいました。

では、どうしてイエス様は彼女の秘密を明らかにされたのでしょうか。痛みを見て喜ばれたからでしょうか。いいえ、そうではありません。イエス様は彼女を愛されたからです。

彼女が宗教的な議論を挑もうとしたとき、イエス様はその疑問に優しく応じられました。

そして彼女が「私はよくわかりませんが、メシアを待っています」と言ったとき、イエス様はこう答えられました。「私をご覧なさい。あなたが待っているその人は私です。私がメシアです。」

その瞬間、イエス様の目を見たとき、完全に理解している方を見ました。イエス様は心の奥深くまで知っておられました。しかし彼女は、イエス様が自分を本当に愛しておられることに気づいたのです。

どれほど多くの人々が、私たちについて同じことを言えるでしょうか。神様の真理を伝えるとき、イエス様の愛を見るでしょうか。そしてさらに、心から「あなたを愛しています」と言えるでしょうか。

イエス様はサマリヤの女性の心を変えられました。真理は彼女に正しい道を示しました。 けれども、彼女の心を本当に変えたのは愛でした。

あなたは相手を愛さずにただ真理を伝えますか。それとも、キリストの愛が溢れ出し、人々の心を変えるでしょうか。

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エゼキエル書

生ける水

上の写真は死海です。なぜ「死海」と呼ばれるのでしょうか。

それは、この海の塩分濃度が非常に高いため、魚や貝などの生物が生きることができないからです。緑藻類や菌類を除いて、何も生きることができないのです。

しかし、この箇所では、神様はこの「死んだ海」と呼ばれる場所がいつか変わると語っています。

将来、神殿の敷居の下から東へ向けて水が流れ出します。その流れは小さな水流から始まりますが、やがて大きな川へと変わります。そして、その川は最終的に死海へと注ぎ込みます。

そして、

海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。

この水が入ると、そこの水が良くなるからである。

この川が入る所では、すべてのものが生きる。(エゼキエル47:8-9)

それだけではなくて、

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。

その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。(12)

それはいつか本当に起こると信じますが、その預言は私たちの人生を描いた美しい絵だとも感じます。つまり、天国の王座から生ける水の川が流れ出し、それが私たちの人生に注ぎ込まれるということです。

さらに、罪の中に死んでいた私たちから、神様の命が溢れ出します。私たちの人生は実を結び始め、その実が私たち自身の魂を癒し、栄養を与えるのです。

しかし、それだけではありません。その実は私たちの周りの人々にも癒しをもたらし、彼らの魂にも栄養を与えるのです。

イエス様はこう言われました。

だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7:37ー38)

主よ、どうかあなたの聖霊で私を満たしてください。私の魂にあなたの生ける水を注ぎ、私を癒してください。私があなたのために実を結ぶ者となることができますように。

そして、私を通して、あなたの生ける水を流してくださり、私の周りの人々の魂を癒し、彼らの魂にも栄養を与えることができますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。