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申命記のデボーション

私たちが神の子供たちだから

あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。。。

あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。(申命記14:1ー2)

それらが素晴らしい言葉ですね。

その言葉はイスラエル人たちに語られましたが、今は私たちにも語られています。(第一ペテロ2:9ー10)

では、私たちはどのように反応するべきでしょうか。

神様が聖でおられるように、私たちも聖なる者でなければなりません。

イスラエル人たちにとっては、周りの国の宗教的な儀式を避けなければなりませんでした。(1、21節)

また、彼らは食事制限を守らなければなりませんでした。(3ー21節)

もしかすると、その食事制限を通して、毎日神様はイスラエル人たちに思い出させてくださったのかもしれません。

「人は肉体的な食べ物だけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるのです」(申命記8:3)

私たちにはその食事制限を守る必要はありません。(マルコ7:14ー19)

しかし、神様は私たちが聖なる者となることをなおも望んでおられます。

私たちが神様の真似をするように望んでおられます。

だからこそ、何を食べるかに注意するのではなく、心の中にあるものに注意しなければなりません。(マルコ7:20ー23)

では、聖なる者となる動機は何でしょうか。

神様を感動させるためでしょうか。

私たちが神様の受け入れにふさわしいことを証明するためでしょうか。

違います。神様は私たちをすでに受け入れてくださいました。そして、神の子供たちとして、私たちは神の宝の民です。

では、なぜ聖なる者となろうとするのでしょうか。

私たちは天のお父さんのようになりたいのです。

それはあなたの心でしょうか。

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ヨハネの福音書のデボーション

私が天の父が喜ばれることをいつも行えるように

今日の箇所を読んだとき、私は多くの言葉に心を打たれました。特に、29節は私の心に響きました。イエス様は「わたしは、天の父が喜ばれることをいつも行います」と言われました。

私は、「それを言うことができたらいいのになあ」と思いました。

でも、私は他の言葉にも心を打たれました。

あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネの福音書8:31ー32)

まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。 奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。

ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。(34ー36)

私のことばはあなたの中で進行していません。(37、英訳)

神から出た者は、神のことばに聞き従います。(47)

わたしの父を敬っているのに、あなたがたはわたしを卑しめています。(49)

だから今日、私はその言葉をまとめて、このように祈りました。

イエス様、あなたのようになりたいです。あなたのように、「私は、天のお父さんが喜ばれることをいつも行います」と言えたいけど、言えません。私は天のお父さんが喜ばれないことをしばしば行うからです。赦してください。

私の言葉と行いによって、天のお父さんとあなたを決して卑しめることがないように。

むしろ、私がいつも心の中に、あなたのみ言葉のための場所を開けるように。

その御言葉が私の心の中で進行するように。私があなたのみ言葉をもっと理解することができるように助けてください。それだけではなく、私がその御言葉に従うことができるように助けてください。

アブラハムのように、私があなたの言葉の真理を聞き、信じ、受け入れ、従うことができるように助けてください。

イエス様、あなたの恵みを感謝します。あなたのおかげで、私はもはや罪の奴隷ではありません。十字架で流されたあなたの血によって、私は自由にされました。私を神の子にしてくださり、本当に感謝します。

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マタイの福音書のデボーション

イエス様の模範に従う

この箇所では、イエス様は私たちにクリスチャン生活の模範を示してくださいます。

イエス様は罪をまったく犯していませんでしたが、洗礼を通して、神様のみこころに従う心を表されました。

そして、御霊がイエス様の上に降って来られ、イエス様を満たされました。その瞬間、天の父はイエス様にこう言われました。

これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。(マタイ3:17)

それから、イエス様は毎日、御霊に導かれる人生を歩まれました。

イエス様がそのような生活を送られたのなら、まして私たちはなおさらです。

実は、パウロはローマ書8章で、そのような人生について語っています。

パウロによれば、私たちがクリスチャンになったとき、神様に対する反抗的な心は死にました。(ローマ書8:4〜11)

そして、御霊が私たちのうちに住み始め、神様は私たちを見るとき、「あなたは私の愛する子供だ」と言われます。

それを聞いて、私たちは御霊によって「アバ、お父さん」と叫びます。(ローマ書8:14〜17)

さらに、聖霊様は毎日毎日、一瞬一瞬、私たちを導いてくださいます。(ローマ書8:4〜5)

ですから、神様が私たちを「私の愛する子供」と呼んでくださることを感謝しましょう。

そして毎日、聖霊様に「私の次のステップは何ですか」とお尋ねしましょう。

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使徒の働きのデボーション

権威を持つ者としての神の子

すると、悪霊が彼らに答えた。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」(使徒の働き19:15)

この言葉は、私の心を深く揺さぶりました。その悪霊はもちろんイエス様のことを知っていて、その権威を認めていました。

そして、パウロのことも知っていて、その権威を認めていました。なぜなら、イエス様との関係によって、また神の子供として、パウロは悪霊に対する権威を持っていたからです。

しかし、私たちクリスチャンは、神の子供としての自分の権威を理解しているでしょうか。私たちが堅く立つなら、私たちの敵であるサタンは逃げなくてはなりません。サタンには、私たちに対する力がないのです。

だからこそ、パウロは「堅く立ちなさい」と語りました(エペソ6:13〜14)。

また、ヤコブは「悪魔に対抗しなさい」と語りました(ヤコブ4:7)。

ですから、神の子供よ。神様から与えられたあなたの権威を覚えていましょう。

ヨハネはこう語りました。

子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。(第一ヨハネ4:4)

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マタイの福音書のデボーション

神の子どもの祈り

イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。

そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」(マタイの福音書3:16ー17)

天のお父さん、どうして、恵みによって、あなたは私のために天を開き、御霊を私に遣わし、「これはわたしの愛する子どもです。わたしはこれを喜ぶ。」と仰ることができるのでしょうか。

どうしてでしょうか。それは私には把握しきれない真理です。でも、私は心から感謝します。

ですから、私が悔い改めの実を結ぶことができるように助けてください。あなたは、私がどんな罪と戦っているのかをすべてご存じです。

パリサイ人たちやサドカイ人たちのように、ただ義人のふりをしたくはありません。私が真の義の実を結ぶことができるように助けてください。

イエス様、あなたは御言葉によって、私がすでにきよい者であることを宣言してくださいました。ですから今、あなたの御言葉が私のうちにとどまるようにしてください。

その御言葉が私を刈り込み、形成し、変えてください。あなたの御言葉によって、私の言動が変えられるようにしてください。

あなたの御言葉によって、私の罪を明らかにしてください。

そして同時に、あなたの御言葉が、あなたの愛と赦しを私に思い起こさせてください。

あなたの御言葉によって、私があなたと共にもう一歩進み、あなたのようになるように励まされますように。

あなたはブドウの木、私はその枝です。私がどのようにしてあなたにとどまることができるかを教えてください。

あなたを離れては、私は何もすることができません。でも、あなたにとどまるなら、私は多くの実を結びます。私は心から、あなたのために多くの実を結びたいのです。(ヨハネ15:3〜7)

聖霊様、あなたがイエス様を導き、満たされたように、どうか日々、一瞬一瞬、私を導き、満たしてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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列王記第二のデボーション

私たちが誰ものであるかを思い出す

「アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。。。」(列王記第二16:7)

この話の背景をもっと知りたいなら、イザヤ書7章を読んでみてください。

アハズがアラムやイスラエルと対立している最中に、イザヤは有名なインマヌエルの預言を語りました。

イザヤ書7章では、神様はアハズにこう語られました。

「私を信じなさい。あなたの敵は成功しない。信じるためのしるしを与える。しるしを求めなさい。」

しかし、アハズは神様を信じることを拒み、しるしを求めませんでした。

むしろ、彼はアッシリアの助けを求めました。その助けを受けたものの、「贈り物」を送らねばならず、結局、アハズの「主」と「父」はイスラエルに敵対することになったのです。

もしアハズがへりくだって神様に向かい、「私はあなたのしもべであり、あなたの子です」と告白していたなら、その結果はどれほど異なっていたことでしょうか。

私は今、自分の問題に直面しながら、神様が私にこう語っておられると感じました。

「あなたが誰のものであるかを覚えていなさい。あなたは私のしもべです。しかし、それだけではなく、あなたは私の愛する子です。私を求めなさい。私を信じなさい。」

そして、神様は私にこの詩篇を思い起こさせてくださいました。

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。

たとえ地が変わり、山々が揺れ 海のただ中に移るとも。

たとえその水が立ち騒ぎ、泡立っても、その水かさが増し、山々が揺れ動いても。。。

「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる万軍の主はわれらとともにおられる(インマンヌエル)。

ヤコブの神はわれらの砦である。(詩篇46:1ー3、10ー11)

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ペテロの手紙第一のデボーション

無視されているわけではない

主の目は正しい人たちの上にあり、 主の耳は彼らの叫びに傾けられる。(ぺテロの手紙第一3:12)

この間、私は教会でメッセージをしました。テーマは、神様が私たちの祈りに「ノー」と答えるとき、また、神様の答えが遅く感じられるときについてでした。

最近、私にとって、神様の答えがとても遅く感じられます。つまり、一ヶ月ほど、私は健康問題と戦っています。

でも、ペテロの言葉、そして実際にはダビデの言葉(詩篇34:15)が本当に励ましてくれました。

神様の答えが遅く感じられても、神様が「ノー」と答えても、神の耳はいつも私たちの祈りに傾けられています。神様は私たちを無視しているわけではありません。

それに、神様の目は私たちの上にあります。

それは、私たちが本当に良い人だからとか、他の人よりも正しい人だからということではありません。

むしろ、神の愛する子供たちとして、私たちはキリストの義を着せられているからです。

それは本当にすごい真理ですね。

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使徒の働きのデボーション

精選された

私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。

あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。(使徒の働き22:14-15)

アナニアはパウロに、「神様はあなたをお選びになりました」と言いました。

原語では、「選ぶ」という言葉には、「精選する」というニュアンスがあります。

神様はパウロを精選されました。何のためでしょうか。

神様のみこころを知るためです。イエス様を見るためです。イエス様の御声を聞くためです。そして、イエス様の証人となるためです。

しかし、その言葉はすべてのクリスチャンに当てはまります。

神様はあなたを精選されました。神様のみこころを知るためです。イエス様を見るためです。イエス様の御声を聞くためです。

「でも、私は神様のみこころを知らない。それに、イエス様を見たこともない。イエス様の御声を聞いたこともない。」

けれども、あなたがクリスチャンであるならば、そのすべてをすでに経験しているはずです。

あなたは、悔い改めて神様に従うべきだという神のみこころが、少しずつわかってきました。また、神様があなたを御自分の子どもとすることを望んでおられることも、わかってきました。

そして、神様の御言葉を読むたびに、あなたは神様のみこころをさらに深く知ることができるようになります。

自分の目でイエス様を見たことがないし、自分の耳でイエス様の御声を聞いたことがないかもしれません。でも、神様はあなたの心の中で働かれ、あなたが神様を信じるようになりました。

そして、ある日、私たちは自分の目でイエス様の御顔を見るのです。(第一ヨハネ3:2)

しかし、二つのことを覚えておくべきです。

普通、人が精選される理由は、その人が特別な存在であり、特別な資格を持っているからです。でも、それは神様が私たちを選ばれた理由ではありません。

神様の恵みだけによって、私たちは精選されたのです。この世が造られる前から、神様は私たちを知っておられました。私たちの弱さも、罪も、失敗も、すべてをあらかじめ知っておられました。

それでも、神様はこう言われました。「あなたを精選する。」

もう一つのことを覚えておきましょう。神様が私たちを精選された理由は、私たちがただ神様との関係を楽しむためだけではありません。

もちろん、神様は私たちと親しい関係を望んでおられます。しかし、パウロのように、神様は私たちをご自分の証人として精選されたのです。私たちは、神様の福音をこの死にかけている世界に伝えるべきです。

自分のために生きるのではなく、あなたのために死んで復活されたイエス様のために生きるために、あなたは精選されたのです。(第二コリント5:15)

少しおすすめがあります。エペソ人への手紙1:3-14と、第二コリント5:14-21を読んでみてください。

その言葉を心に深く刻んでください。これらの箇所で、パウロはアナニアの言葉を具体的に説明しています。

パウロが悟ったのは、アナニアの言葉がパウロ一人のためではなく、すべてのクリスチャンのためであるということです。

私たちは神様に精選されました。それは、本当に驚くべき真理です。

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ガラテヤ人への手紙のデボーション

味わった幸福を失わないために

あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。(ガラテャ4:15、新共同訳)

天のお父様、私が味わった神の子供としての幸福を、決して手放すことのないよう、あなたの愛にとどまらせてください。

私の罪や失敗や弱さのゆえに、救いの確かさを疑うことなく、あなたを信頼し続ける者でいられますように。

主よ、私があなたの歓心を買おうとするのではなく、ただ恵みによって生きることを教えてください。

私はもはや奴隷ではありません。私は暴君の神の罰を恐れていません。

私は愛深い天の父の子供です。

アバ、父よ。私に対するあなたの愛を確信をもって、あなたのみもとに来ます。

イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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ガラテヤ人への手紙のデボーション

神の子供

多くのクリスチャンたちは、よく疑いをもって、「神様は自分の子供として私を本当に受け入れておられるだろうか」と考えます。

なぜなら、彼らは自分の罪と失敗を見るとき、「いったいどうして、神様は私を受け入れてくださるだろうか」と考えるからです。

でも、パウロは大切な質問を投げかけます。

あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。(ガラテヤ人への手紙3:2)

言い換えると、「どうして、神様はそもそもあなたを受け入れたのですか。なぜ神様は御霊を遣わして、あなたのうちに住まわせたのですか?」

あなたは何とか一年ぐらい完全に律法を守ることができたからでしょうか。1週間ぐらいその律法を守ることができたからでしょうか。一日ぐらいその律法を守ることができたからでしょうか。一時間ぐらいその律法を守ることができたからでしょうか。

違います。

あなたがイエス様とその十字架の働きを信じたからです。

そして、神様は試用期間で私たちを自分の子供として受け入れるのではありません。

ある会社はそのように人々を採用するかもしれません。

でも、神様はそのように自分の子供を養子にされません。

だから、神の子供としての自分のアイデンティティを心に留めておきましょう。

あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子供です。(26節)