どうして多くの人々は神様に従わずに、逃げるのでしょうか。もしかしたら、彼らは「自由」を求めているのかもしれません。
しかし、彼らにとって「自由」とはどういう意味でしょうか。おそらく、彼らは好き勝手に生きたいと思っているのでしょう。
彼らはこのように考えます。
「神様に従うと、好き勝手に生きることができない。むしろ、私はいろいろなルールに従わなくてはならないのだろう」
おそらく、パウロの時代でも、多くの人々は同じように考えたでしょう。だからこそ、彼らはこう問いかけました。
「恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。」
あるいは、「私たちは律法の下ではなく、恵みの下にあるのだから、罪を犯してもよいのではないでしょうか。」
けれども、本当の自由とは、好き勝手に生きることなのでしょうか。それとも、本当の自由には、まったく異なる意味があるのでしょうか。
私は、本当の自由には、まったく異なる意味があると思います。
少し考えてみてください。
日本に住んでいるアメリカ人として、私にとっての課題の一つは、電化製品を購入する際、その説明書が日本語で書かれていることです。なぜなら、私には日本語の読み書きがとても難しいからです。
だから、このブログの記事を掲載する前に、私の妻はいつも編集してくれます。(本当に感謝しています。)
とにかく、4年前、私はブルーレイ・プレイヤーを購入し、テレビやケーブルモデムに接続しようと思いましたが、日本語の説明書がよく理解できませんでした。だから、私は混乱し、正しく接続するのに何時間もかかりました。
けれども、私が説明書を使わなかった言い訳がありました。それは、その説明書の漢字や専門用語が理解しにくかったからです。
その一方、多くの日本人(特に男性たち)は、ブルーレイ・プレイヤーやコンピューターをセットする際、「説明書は要らない。私は何とかできる」と思います。
その結果、私と同じようにフラストレーションを感じることになります。それは本当の自由なのでしょうか。
神様は私たちにこう言われます。「私はこのように人間を創造しました。このように生きるなら、あなたの人生はうまくいくでしょう。私に信頼するならば、あなたは祝福されます。」
しかし、多くの人々はこう答えます。「いや、あなたの言葉は必要ありません。私は自分の方法に従っても、すべて何とかなるでしょう。」
けれども、彼らが自分の道に従うと、結婚や親子関係、その他の人間関係を壊し、自分の健康や人生をめちゃくちゃにしてしまい、最終的にフラストレーションを感じることになります。
彼らが求める幸せを手に入れることはできません。それは本当の自由なのでしょうか。
だから、パウロはこう言いました。
あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。
ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。(ローマ人への手紙6:20-21)
つまり、神様から離れたとき、好き勝手に生きる自由を持ちましたが、その自由はどこへ導いたでしょうか。それは恥へと至りました。そして、その自由はあなたを滅ぼしてしまいました。
しかし、私たちの人生を神様に委ね、神様の導きに従うならば、どうなるのでしょうか。
(あなたは)罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。(22)
つまり、私たちの人生は完全なものとなります。永遠の命は天国で始まるのではなく、この地上で始まります。
神様に従うならば、私たちは豊かな人生を歩み始めます。なぜなら、神様は私たちをどのように創造されたかをご存じであり、私たちはその創造の意図に従うからです。
それこそが、本当の自由なのです。
では、自由の鍵は何でしょうか。それは、神様に信頼することです。
私たちは、神様が最も良い生き方をご存じであると信じます。また、神様が私たちの最善を望んでおられることを信じます。
だからこそ、私たちは毎日、自分の人生を神様にささげます。そうすることで、本当の自由を見つけるのです。
あなたはどうでしょうか。本当の自由を見つけたのでしょうか。