しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、主の栄光を鏡に映すように見ながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3:16~18 、脚注の訳)
今朝、私はこの箇所に思いを巡らしていました。
イスラエルの民は、モーセの顔に神様の栄光が映っているのを見て怖がったため、モーセは顔に覆いを掛けました。
しかし、モーセは神の栄光を見たいと願っていました。主の麗しさに憧れていました。だからこそ、主と話すときには、その覆いを外しました。
私も主の麗しさを見たいと願っています。驚くべきことは、イエス様ご自身がその覆いを取り除いてくださるということです。イエス様は私にこう語ってくださいます。「その覆いはいらない。私を見てごらん。私を見てほしいの。私を知ってほしいの。」
そして、その麗しさを見ると、私は変わります。主を見れば見るほど、主を知れば知るほど、私はますます主のようになっていきます。
私は、もう昔の私ではありません。けれども、まだこれからの私でもありません。
しかし、大切なのは、主が私を愛しておられることです。だから、私は大胆に、覆いを取り除いたまま、主の前に立つことができます。そして、主は、私がもっと近づき、主を本当に知ることへと招いてくださいます。
主よ、あなたは私の顔から覆いを取り除いてくださいました。あなたは私を受け入れ、愛してくださいます。私は自由にあなたに近づくことができます。だからこそ、私は近づきます。あなたを見て、知ることを心の奥から願っています。


