使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証し……(使徒の働き4:33)
最近、私の教会では、福音のメッセージを改めて見つめ直しているところです。
その中で、以前は少し不思議に思っていた箇所の意味が、次第に明らかになってきました。
例えば、上記の聖句のように、著者たちは使徒たちのメッセージについて語るとき、復活について述べながら、十字架には全く触れない箇所があります。なぜでしょうか。十字架は福音の核心ではないのでしょうか。
もちろん、イエス様が私たちの罪のために死なれたことは、決して欠かすことのできない真理です。しかし、使徒の働きを読むと、十字架について語るとき、使徒たちはしばしば、その点ではなく、ユダヤ人たちが正当な王を拒んだという事実を強調しているように見えます。(使徒の働き2:23、36;3:14~15;4:10~12、25~28;5:30~31)
さらに、この有名な箇所で、パウロはこう語りました。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ人への手紙10:9)
この箇所でも、パウロは十字架には触れず、復活だけについて語っています。なぜでしょうか。
おそらくそれは、復活が何を示しているかに関わっています。パウロはローマ書の初めで、こう語りました。
聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ人への手紙1:4)
「神の子」という言葉を聞くとき、私たちはふつう、イエス様が神であることを思い浮かべます。
しかし、ユダヤ人の王たちもまた「神の子」と呼ばれていました。
つまり、ご自分の復活によって、イエス様は究極の神の子、王の王、主の主として公に示されたのです。
だから、パウロが「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と語るとき、ほぼ同じことを述べているのです。
すなわち、「イエス様を主と告白し、神様が復活によってイエス様を私たちの正当な王として公に示されたことを信じるなら、あなたは救われます」ということです。
ペテロの最初の福音のメッセージでも、そのテーマを見ることができます。
このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです……
ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。(使徒の働き2:32~33、36)
「キリスト」とは、「神の油を注がれた王」を意味することを心に留めておいてください。
では、私は何を言おうとしているのでしょうか。
福音の核心は「神様はあなたを愛し、あなたのために素晴らしい計画を持っておられる」ということではありません。その言葉はもちろん正しいのですが、福音の核心ではないのです。
また、「あなたが天国に行けるように、イエス様はあなたの罪のために死んでくださった」ということも本当ですが、それも福音の核心ではありません。
福音の核心は「イエスは主です—あなたの正当な主である」ということです。
だから、人々に悔い改めを勧めるとき、ただ自分の罪のために謝るように促しているわけではありません。
私たちはこう勧めています。「神様の良い支配の下に身をおきなさい。自分の正当な王を拒んだこの曲がった時代から救われなさい。」(使徒の働き2:23、36~40、3:13~15、19~20)
使徒の働きを通読しながら、このテーマを探してみましょう。特に使徒たちの福音の説教には、そのテーマがはっきりと現れています。
ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
「主の名を呼び求める者はみな救われる」のです。(ローマ人への手紙10:12~13)

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