自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい。
あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。(ヤコブの手紙2:12~13)
このことばはいつも私の心を打ちますが、今朝、私は特に深く心を打たれました。
どの教会にも、接するのが難しい人はいるものです。 私の教会も例外ではありません。
そして、ヤコブのことばを読んだとき、神様は、昨日、私がある難しい人に対して良くない態度を取ってしまったことを示してくださいました。
いつか私はキリストの前に立ち、さばきを受けます。 しかし、そのさばきは、私を自由にする律法によるさばきです。
パウロが語ったように、いのちの御霊の律法は、罪と死の律法から私を解放してくださいました。 私はもはや、罪と失敗のためにさばかれる律法の下にはいません。 イエス様の血によって私の罪の代価は支払われ、私は解放されました(ローマ人への手紙8:2)。
私はそのような律法によってさばかれるのです。
だからこそ、神様は私に語っておられました。 「あなた自身がそのように、恵みとあわれみをもってさばかれているのなら、あなたもその難しい人に対して、同じ恵みとあわれみをもって接しなさい。あなた自身が自由にされたように、その人をも自由にしなさい。」
いのちの御霊よ、昨日の私の態度を赦してください。 あなたが私にいのちを与えてくださったように、私も周囲の人々にいのちをもたらす者としてください。

