この箇所は、聖書の中でも特に解釈が難しく、適用しづらい部分の一つです。
例えば、ある牧師はこの箇所を根拠に、教会では女性が帽子をかぶるべきだと教えます。一方で、別の牧師は、この教えは単なる文化的な習慣に過ぎないと説明します。
正直に言えば、私自身もこのパウロの教えの意味を完全には理解していません。
それでも、この箇所から私たちは結婚に関する重要な原則を学ぶことができると思います。パウロはこう教えました。
しかし、あなたがたに次のことを知ってほしいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。(コリント人への手紙第一11:3)
パウロの言葉から、私たちは神様の本質について重要なことを学ぶことができます。神様の本質には、権威と従順の関係があり、それは私たちとイエス様の関係に反映されるだけでなく、夫婦の関係にも反映されています。
パウロは「キリストのかしらは神です」と言いました。それはどういう意味でしょうか。他の聖書の箇所を読むと、パウロの意図がより明確になると思います。
ヨハネはこう言いました。
。。。御父が御子を世の救い主として遣わされた。。。(第一ヨハネ4:14)
そして、この世に来たとき、イエス様は天の父にこう語られました。
今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。神よ、あなたのみこころを行うために。(へブル10:7)
この世におられたとき、イエス様はユダヤ人たちにこう語られました。
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。(ヨハネ6:38)
しかし、天の父に対するイエス様の従順は一時的なものではありませんでした。イエス様が復活し、天に戻られたあとも、その従順は続きました。
むしろ、パウロはイエス様の再臨と永遠の御国について語ったとき、こう述べました。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。
すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。。。
「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。
しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。
そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。
これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(第一コリント15:24-25、27-28)
これらの聖書の箇所を考慮すると、一つのことが明らかです。イエス様は真に神の本質を持っておられますが、それでも永遠に天の父に従われます。
けれども、それによって天の父がイエス様よりも神であると言うことはできません。また、本質において天の父がイエス様よりも優れた方であるとも言えません。むしろ、本質において彼らは完全に平等です。
では、なぜこのポイントがそれほど重要なのでしょうか。それは、現代において、多くの人々が「妻が夫の権威に従うことは彼女の本質への侮辱だ」と主張するからです。彼らはこう言います。
「もしあなたが『妻は夫に従うべきだ』と教えるならば、それは女性を劣った存在として扱うことになる。」
そのため、「女のかしらは男である」という言葉を聞くと、彼らはパウロの言葉の意味を曖昧にしようとします。
しかし、パウロは、人間関係には秩序があると教えています。イエス様は天の父の権威に従われます。男性はイエス様に従い、女性は男性に従います。
とはいえ、人間の本質において、男性が女性よりも優れているとは決して言えません。パウロはそのような考えに断固として反対しました。そして、彼はこう述べました。
とはいえ、主にあっては、女は男なしにあるものではなく、男も女なしにあるものではありません。
女が男から出たのと同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から出ています。(11-12)
つまり、神様はリーダーシップの役割を男性に与えましたが、男性と女性は互いに必要とし合う存在です。
そして、男性が自らの権威を利用して女性を支配することは決して許されません。むしろ、天の父がイエス様を愛し、尊敬されるように、男性は女性を愛し、尊敬しなければなりません。
さらに、神様が私たちの創造主である以上、男性は神様に従うことを常に覚えていなければなりません。私たちは神様の前で責任を問われるのです。
だからこそ、既婚女性は自分自身にこう問いかけるべきです。
「イエス様が天の父に従われるように、私は夫に従っているだろうか。夫がキリストに従う限り、私は夫に従うべきだろうか。」
既婚男性は、自分自身にこう問いかけるべきです。
「天の父がイエス様を愛し、尊敬されるように、私は妻を愛し、尊敬しているだろうか。イエス様が私を愛し、ご自身の命を捧げられたように、私も妻を愛し、彼女のために私の命を捧げることができるだろうか。」
シングルの女性は、こう問いかけるべきです。
「私の彼氏(または婚約者)はイエス様に従っているだろうか。私がイエス様に従うように、彼に従うほど彼を信頼できるだろうか。」
もし「はい」と答えられないなら、結婚を後回しにするべきです。
シングルの男性は、こう問いかけるべきです。
「私はイエス様に従っているだろうか。もし私がイエス様に従うなら、結婚した後、私は妻をどのように扱うべきだろうか。」
その問いに正しく答えられないなら、結婚を後回しにするべきです。
あなたは誰に従っているでしょうか。