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サムエル記第一のデボーション

本当に、良しとされるのですか?

主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされたからだ。(サムエル記第一12:22)

天のお父さん、どうして私が不実で、大失敗し、あなたを裏切るにもかかわらず、あなたは私を捨て去られないのでしょうか。

それどころか、あなたは私をご自身の者、ご自身の子とすることを良しとされるのです。

それは本当に驚くべきことです。あなたはそれを良しとされるとは、なんと不思議なことでしょう。

だからこそ、お父さん、私があなたを恐れ、心を尽くして、誠実に仕えるように導いてください。

あなたがどれほど大いなることをしてくださったかを心に留めておくように助けてください。特に、私がイエス様の十字架の働きを決して当たり前のものだと思わないようにしてください。

私へのあなたのすばらしい恵みといつくしみに、心から感謝します。

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ガラテヤ人への手紙のデボーション

あなたのいつくしみ深い霊が私を導いてくださいますように

御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。。。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。。。

私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。(ガラテヤ人への手紙5:18、22ー23、25)

今日の箇所を読んだとき、私はこう思いました。「単なるルールの一覧ではなく、生きておられる神の御霊に従っていて、よかった。」

なぜなら、ルールの一覧は、私の弱さを見たときに、あわれみも思いやりもまったく示してくれないからです。私の存在に心を留めてくれることもありません。

しかし、御霊は冷たく無関心なお方ではありません。むしろ、私の弱さに対して、あわれみと心遣いをもって応えてくださいます。

正直に言えば、私は御霊との関係を親しく感じるのが少し難しいです。なぜか、天のお父さんやイエス様ほどには、御霊が人格を持つお方として心に届いてこないことがあります。

けれども、御霊の実が「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」であるなら、まさに御霊ご自身がそのようなお方なのでしょう。私を見つめるとき、きっとそのような御顔を向けてくださっているのではないでしょうか。

今日、私はそのようなことを思い巡らしています。そして、私の悲しみと苦しみの中で、天のお父さんに祈っています。

あなたのいつくしみ深い霊が平らな地に私を導いてくださいますように。(詩篇143:10)

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ヨシュア記のデボーション

それゆえ。。。

それゆえ、いま、あなたがたは主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって。。。主に仕えなさい。(ヨシュア記24:14、口語訳)

「それゆえ、今。。。」

新改訳聖書では単に「今」と訳されていますが、原語には「それゆえ」というニュアンスが含まれている場合もあります。

私が14節を読んだとき、最初に心を留めたのは、「まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕えなさい」という命令のことばでした。その一文が強く印象に残ったのです。

けれども、二度目に読んだとき、「それゆえ」という語に目がとまりました。

この「それゆえ」は、いったい何を指しているのでしょうか。

その直前で、ヨシュアは神様がどれほどイスラエルの民を祝福し、恵みを与えてこられたかを語っていました。

そして、そのすべてを語り終えたとき、ヨシュアはこう命じるのです。

「それゆえ、いま、あなたがたは主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕えなさい。」

それに気づいたとき、私はもうひとつの聖書の箇所を思い出しました。

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。(ローマ書12:1)

私たちのすべてを神様に捧げること。偶像や罪を捨て、心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして神様を愛すること。これらの命令に目を留めるのは、容易なことです。

もちろん、それらはとても重要です。しかし、私たちは「それゆえ」や「ですから」という語を見落としてはなりません。

だからこそ、まず、この2つの真理に心を向けましょう。

神様は、私たちに、なんと祝福してくださったことでしょう。

神様は、私たちに、なんと恵みとあわれみを与えてくださったことでしょう。

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テトスへの手紙のデボーション

神様の愛といつくしみに応えて

しかし、私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が現れたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。(テトスへの手紙3:4-5)

「人に対する愛。」

この言葉が私の目に留まりました。

なぜなら、3章でパウロはこのようなことも語っているからです。

あなたは人々に注意を与えて、その人々が。。。すべての良いわざを進んでする者となるようにしなさい。(3:1)

神を信じるようになった人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであり、人々に有益です。(8)

私たちの仲間も、実を結ばない者にならないように、差し迫った必要に備えて、良いわざに励むように教えられなければなりません。(14)

なぜ私たちはそうするべきなのでしょうか。

なぜなら、神様はまず私たちに愛といつくしみを与えてくださったからです。

だから、神様が言葉だけではなく、行為でも私たちを愛しておられるように、私たちも周りの人々を行為で愛するべきです。

今日、神様は私に尋ねられました。「私と同じように、周りの人を愛していますか。」

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列王記第二のデボーション

神様の忠実な愛を忘れる、再び

しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。

主がイスラエルに一人の救う者を与えられたので、彼らはアラムの支配を脱した。こうしてイスラエル人は以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。

それにもかかわらず、彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪から離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリアに立ったままであった。(列王記第二13:4-6)

神様の恵みは本当に素晴らしいですね。

エホアハズとイスラエルの民は主に背を向けていたのに、エホアハズが神様の助けを求めると、神様は恵みによってイスラエルの民を助け、アラムから救ってくださいました。

しかし、彼らの生活が元に戻ると、神様のいつくしみに感謝することなく、自分の罪に戻ってしまいました。彼らは神様を捨て、自分の道に戻ったのです。

私たちもまた、自分の罪のゆえに苦しみ、神様に叫び求めるとき、神様は恵みによって私たちを助けてくださいます。

そして、私たちは神の忠実な愛といつくしみを忘れ、神様を脇に置いて、自分の道に戻ってしまうことがあるのです。

私たちの人生が順調なときこそ、神様を忘れないように。また、神様の忠実な愛といつくしみを当然のものと思わないようにしましょう。

パウロの言葉を心に留めておきましょう。

神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。(ローマ書2:4)

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ペテロの手紙第一のデボーション

あなたがいつくしみ深い方だから

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。(ペテロの手紙第一2:3)

主よ。私は何度もあなたのいつくしみを味わってきました。あなたは私を選び、あなたの祭司とされました。あなたは私を御国に歓迎し、ご自分の尊いものとしてくださり、闇の中から驚くべき光の中へと召してくださいました。

私は以前、あなたの国民に属していませんでしたが、今はあなたの国民に属しています。かつてはあわれみを受けたことがありませんでしたが、今はあわれみを受けています。

私は羊のようにさまよっていました。しかし、あなたは良い羊飼いとして私を取り戻してくださいました。

あなたは本当にあわれみ深い方です。あなたは良い方です。

だから今、私があなたの御言葉をもっと慕い求める者となりますように。

クリスチャンの本は素晴らしいものです。そして、ノンクリスチャンの人たちからも学ぶことができます。

でも、あなたの御言葉だけによって、私は純粋な真理を得ることができます。

その真理は私に命を与えてくださいます。

その真理はあなたを現してくださいます。

だから、私はあなたの言葉に飛び込みます。

私がそうしなければならないからではありません。

聖書を読むのがクリスチャンのやるべきことというわけでもありません。

むしろ、私があなたを愛しているからです。

私はあなたのいつくしみを味わったからです。そして、あなたの御言葉を通して、あなたのいつくしみをもっと味わいたいのです。

あなたの尊い御名によって祈ります。アーメン。