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ルカの福音書のデボーション

ちっちゃい子供の心

しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。

まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」 (ルカの福音書18:16~17)

今朝、私は、ちっちゃい子どものように神の国を受け入れるとはどういう意味なのかと思い巡らしました。

ちっちゃい子どもは、プレゼントを受け取るとき、どのような態度を示すでしょうか。それは無関心でしょうか。あるいは、そのプレゼントや与える人の良さを疑うでしょうか。

違います。ちっちゃい子どもは、そのプレゼントを喜んで受け取ります。

一方で、金持ちの態度を考えてみてください。彼は悲しくなって、イエス様が与えようとされた御国から立ち去ってしまいました。

なぜでしょうか。それは、御国が自分の富よりも価値があると信じることができなかったからです。

さらに、イエス様を「良い先生」と呼んだにもかかわらず、イエス様に従うほどには信頼することができませんでした。

ペテロも、心の中である程度そのような戦いがあったようです。御国の素晴らしさよりも、自分が何を捨てたのかに心が向き、本当に甲斐があるのかどうかをイエス様に尋ねていました。

私たちは、常に御国の価値や、私たちの王の良さについて疑いを抱くなら、御国に入ることができません。

ただし、私は皆さんに、時おり心に浮かんでしまうような一時的な疑いのことを言っているのではありません。私が話しているのは、御国とイエス様に対する私たちの基本的な態度のことです。

ちっちゃい子どもの心は、御国に無関心でもなく、その価値を疑うこともありません。

ちっちゃい子どもの心は、自分の王に対して皮肉な態度を抱くこともありません。

むしろ、ちっちゃい子どもの心は、御国とその王を喜んで受け入れるのです。

あなたはどうでしょうか。ちっちゃい子どもの心を持っているでしょうか。

あなたはイエス王とその御国をどのように見なすでしょうか。

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マルコの福音書のデボーション

初めの愛

けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。(ヨハネの黙示録2:4)

最近、私はこのことばを思い巡らしていました。

初めの愛の特徴とは何でしょうか。おそらく、その主な特徴は「喜び」ではないでしょうか。

では、何がその愛を芽生えさせるのでしょうか。それは、私たちに対する神の愛とあわれみです。(第一ヨハネ4:19)

今日の箇所に登場する金持ちは、そのような愛を持ったことがないように見えます。自分はすでに良い人間だと思っていて、あわれみを必要と感じることがなかったのでしょう。(マルコ10:19〜20)

だからこそ、イエス様が彼に、持ち物のすべてを売り払い、ご自身に従うよう招かれたとき、彼は喜ぶことなく、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去りました。(マルコ10:21〜22)

一方、弟子たちはイエス様を愛していましたが、その動機にはまだ混じりけがありました。彼らはいつもこう考えていました。

「もしイエス様に従うなら、どのような益を受け取ることができるだろうか。」(マルコ10:28、35〜37)

しかし、バルティマイがイエス様に従ったとき、彼の心は大きな喜びに満ちていました。(ルカ18:43)

なぜでしょうか。

それは、バルティマイがあわれみを求め、そして受け取ったからです。

それこそが、初めの愛です。

イエス様は私を見つめるたびに、いつくしみをもって、あわれんでくださいます。(マルコ10:21、47)

私は、そのことを決して忘れないように祈ります。 そして、その愛を、決して当たり前のものと思わないように祈ります。

あなたのためにも、私はそのように祈ります。

Because you first loved me,
あなたが私をまず愛してくださったから
Jesus, you will always be
イエス様、あなたはこれからもずっと
You will always be
これからもずっと
My first love.
私の初めの愛です ーー ボブ・ハートマン