しかし、あなたがたに次のことを知ってほしいのです。すべての男のかしらはキリストであり……
男はだれでも祈りや預言をするとき、頭をおおっていたら、自分の頭を辱めることになります。(コリント人への手紙第一11:3~4)
11章でパウロが扱っているのは、文化的な問題のようです。つまり、祈りや預言をするときに、男性と女性がかぶり物を着けるべきかどうかということです。
現代の日本文化では、なぜそれが問題になるのか分かりにくいかもしれません。
けれども、男性として、私には二つのことが明らかです。
1.キリストは私のかしらです。つまり、キリストは私の指導者であり、私の王です。そして、私はキリストに申し開きをしなければなりません。
2.だからこそ、すべての言葉や行動において、私はキリストを敬うべきです。
私はそのような男性になろうと努めています。
そして、妻や娘が、私のうちにそのような夫、父、指導者の姿を見ることを願っています。
