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ガラテヤ人への手紙のデボーション

私を愛してくださった王

今朝、私は「キリスト」と「神の子」ということばに思いを巡らしていました。

私たちはイエス様について話すとき、そのことばをよく使いますが、その意味を深く考えることはあまりないでしょう。

キリストとは、「神によって油を注がれた王」という意味です。

「神の御子」は、もちろんキリストが神であられることに触れますが、ユダヤ人たちは王をある意味で「神の子」として理解していました。

だから、今日、ガラテヤ人への手紙2章20節を新鮮な思いで読みました。

私は王とともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく、王が私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、王に対する信仰によるのです。(ガラテヤ人への手紙2:20)

貼り付けられた革命家と同じように(その人は普通、強盗と呼ばれますが、実際には革命家だったのかもしれません)、私は正当な王とともに十字架につけられました。

反逆者である私は、もはや生きていません。

むしろ、王は私のうちに住み、心の王座に座っておられるのです。

今、私は毎日この王への信仰によって生きています。この王が良いお方であり、私を愛し、私の最善を望んでおられることを心から信じているのです。

だからこそ、愛と信頼に満ちた心で、私の良い王に従おうと選びます。私はもはや自分自身のためではなく、イエス様のために生きているのです。

王様が長く生きられますように。

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マタイの福音書のデボーション

私たちの優しい王

彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲が彼らをおおった。すると見よ、雲の中から「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」という声がした。

弟子たちはこれを聞いて、ひれ伏した。そして非常に恐れた。

するとイエスが近づいて彼らに触れ、「起きなさい。恐れることはない」と言われた。 (マタイの福音書17:5~7)

私はペテロのことを考えていました。天の父のみ声を聞いたとき、彼はどれほど恐れたことでしょうか。その少し前、彼はイエス様をいさめようとしたばかりだったからです。(マタイの福音書16:22)

天の父は彼らにはっきりと言われました。「こちらは私の愛する子、私の喜ぶ者である。だから、彼の言うことに反対してはならない。彼の言うことを聞け。」

しかしその後、イエス様は柔和をもって、彼らに触れてくださいました。

主よ、あなたは聖なる方、大いなる方であり、私の従順を受けるにふさわしいお方です。それでも、あなたは私に対して本当に優しいお方です。そのことを感謝します。

主よ、私はあなたを愛し、あなたを喜びます。 あなたの言われることを聞き、従います。